リーディング 当たり前のこと

夢とことばの相談士、まさみちです。
心理カウンセラーをしています。
独自のプロフェッショナルの表と裏の心理の違いを伝えています。

リーディングという相談者自身の心の働きを問診し、原因となる心の乱れを見立て、解決策を天から降ろして、心身的な不調を取り除くことをしています。

見えないものを知る力のことを指していますが、証拠となる前提が示しにくく、客観性とした結果を残しにくいものである為、細心の注意が取り扱いには必要です。

医療現場でも、医者と患者の信頼関係がなければ、治療など臨めるはずもないといいます。医者は「患者の治りたいという純粋な気持ちに寄り添うだけ」といい、「何もしてあげられることはない」などと伝えています。

リーディングもまさに、そのような境地からするものです。

自身が相談者の心身の痛みや悩みなどの苦痛としたストレスを取り除くことなど出来る筈もなく、相談者自身が解決する決意があれば、寄り添って手を貸すことは出来ても、無ければ手も足も出ないようなものとなります。

客観的証拠重視で生きている方は、不信感が募りすぎてしまい、信用することや、信頼することを怖れて被害に遭うことを極端に怖れます。
よって、様々な証拠を積み上げられても、信じられないものは信じられないとし、こうした当事者しか実感が湧かないものなどは、客観的証拠を大事にする人の目には留まりにくくあります。

それでも、そうした人でさえ「不安だけれど信じてみよう」と踏み出したとき、世界は変わって行きます。

リーディングする力を欲するカウンセラーの卵の方々も、同様です。
「自分で自分のことはよくわからないけれど、自分ぐらい自分のことをわかってあげられる人はいないのだから、自分のことくらい全部わかってみせよう」
としてあげると、施術する自分と、相談する自分という医者と患者との関係と同じ構造が、心の中に生み出せます。

リーディングは、自身との対話のような基礎が築かれる為、自問自答という形式になります。

 

この時、「私なんて」とか「どうせ私が」と、自分に対する低評価をつけていると、うまくリーディングを学ぶ姿勢にはなりません。
そして、「これがあれば」とか「あの講座を受ければ」などと、低評価の自身に高評価の講座や資料などを合体させれば、習熟出来る錯覚に陥る人がいるので、それは道として進まないので、オススメ出来ません。

「わからないから学ぶ」というのは、本来の学習スタイルです。

ですが、「好きこそものの上手なれ」と言われているように、この世界は好奇心や純粋な好きだけで生きていくことが出来てしまう不思議な世界です。

けれども、「好きなことばかりしていてはダメだ」とか「そんなもので食っていけるようになる筈はない」とダメ出しされ、自身の好奇心や純粋な気持ちを封じられている人たちがたくさんいます。それ故に、自己評価が低くなり、自己肯定感が下がるのです。そして、そのような低評価に貶められた方々がカウンセラーを目指したがる傾向にもあります。

何故ならば、打ち込んで、金をつぎ込んでも、結果ダメであれば、親や先生の期待を裏切らずに済むからです。この植え付けや、刷り込みといった背景があると、自分の好きなことをして人生を切り開くことが困難になります。

それでも、「わからないから学ぶ」としていても「わからないけれど、わかっている筈だ。必ず自分のことくらい自分は知っているから、知らない振りをしているに違いない」くらいに見えない自分はとてつもなく素晴らしい存在で、何でも知っていて、自分は「わからない」と思うけれども、「わかる」ものだとするのです。何よりも、自分くらい味方になってやらずにどうするのか? という自分同士が味方になったことからはじめるのです。

 

世の中の風潮は、「有り難がる」ことを前提として教えているところがあります。けれども、得難いものだと謙虚に受け止めるのは勿論大切なことですが、リーディングにおいては、「有り難がる」とリーディング出来なくなることを教えます。
リーディングというサムシンググレートなどの大いなる源と繋がり、叡智をもたらして閃きある人生をはじめて行くわけですが、そんなものは出来て「当たり前」とするのです。

見えない力、霊性という知力を授かるリーディング能力は誰もが持っていて当たり前なのです。

 

これを読んでいるなら、眼球があり、視力があり、文字を読めているのは字を習っている人なら読めて「当たり前」です。読めて有り難がるのも必要ですが、それは読んでいる姿自身ではなく、読んでいる姿を傍目から見て観察し「このように表現した方が、周りの人に悪く思われない」という下心が隠れている可能性があるのです。

リーディングというものは、嘘では出来ません。
本音と建て前を使い分けてしまう配慮ある多彩な人には困難さが付きまといます。バカがつくほど純粋な人の方が向いています。けれどもそんな人は純粋さ故に穢れきっている姿になっていることも多いので諦めないでください。

「阿吽(あうん)」と呼ばれるキネシオロジーとした筋肉反射反応テストは、こうした嘘を簡単に見抜くことが出来ますが、使い方があります。

施術者と相談者と質問の三つがポジティブであることです。
施術者が相談者に対してどんな風に思われても、平気で元気でいられることです。
相談者が施術者に対して無類の信頼を委ねていることです。
質問の内容が、どこから見てもポジティブに相当するものだと認められるような内容であるとき、キネシオロジーとした筋肉反射テストという「阿吽の力」は発揮されます。

筋肉反射テストとなるキネシオロジー技術を学びたい方は、「あうん講座」を開いている「上川カイロプラスティック研究所」まで連絡してみてください。
丁寧に教えてくれます。

リーディングは、すべからくポジティブの相対的関係性が求められます。
よって、不信感や、嫌悪感や、猜疑心や、嘘つきの心を裏側に隠して関わる場合は、適切な答えを読み解くことが出来ません。

よくセラピストや心理学者が自分自身のことは「分析出来ない」「紐解けない」というのは、自分自身を傍目で見てばかりいて当事者になりきれず、そして自分に対しての不信感がある為、自分では読み解けない結果に陥るのです。

 

ここで教えている霊性としての知力を授かる閃き直感力とした技術は、自分自身さえも紐解ける力でなければ意味を為しません。

それでも、「有り難がる」ことは大切だと知らせますし、それでいても「当たり前」とした泰然とした自然体の姿でいなければ、わかるものもわからなくなってしまうことを事前に教えます。

 

「わかって、当たり前」

そのくらいの心根でリーディングするものなのです。
それは言い聞かせや、思い込ませるものではなく、本来人というものは、そうしたものだというだけのことです。

例えるなら、「風が吹いている」と、状態を説明されると、わかるものですが、「風が吹いている」と感じる為には、「風が吹いていない」と感じた体験がなければわからないものです。

この「風が吹いている」と感じられる力というのは、「風が凪(な)いでいる」状態、「無風である」と感じた体験者がわかるものです。もしくは、「風が強く吹いている」というなら、「風が弱く吹いている」を知っていなければ比較して強弱を識別出来ないことを指します。

 

自身を「わからない」と身を置くと、「誰かに教えてもらう」しかありません。
自身を「わかって当たり前」に身を置くと、「自分が自分に教えてもらう」に変わるのです。

 

これがリーディングの基礎です。

多くの人が、「教えてもらおう」として過るのです。
出来る人は、「言い当てていく」とするのです。

 

それには、不可欠な何かを怖れずにいる必要があります。

 

つづく


今日の一言
巡り来る毎日の中で、同じとするものはないものです。
同じ時間に出かけ、同じ職場に通い、同じ業務を繰り返しているように見えても、どれもが真新しいことの連続でしかありません。
それに気づけた人は、新しい世界がはじまります。
苦しくて、出口がないと感じているなら、rararuraまで問い合わせてみてください。

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