気持ちいい正義の世界の落とし穴

こんにちは。
まさみちです。>>>PROFILE
切っ掛けを持ちたい方>>>>楽しく生きよう!

気持ち良いこと、心地いいこと、わかりやすいこと、自分を幸せにすることについて、言わない方がいいことと、その落とし穴について話しをします。

正しいことより、楽しいことの方が感心を集めるものですし、行動意欲をかき立ててくれます。

義務では人の心は動かないので、誠実さに訴えても、興味を抱いて行動に移してくれる人までいないのが現実です。

 

政治への参加や、地域興しなど、難しいことや、手間暇かかることなど、窮状を訴えて、参加を呼びかけても中々集まらないことがあります。

食の問題などや、教育への課題など、取り組まないといけない事案は、幾らでもありそうなのだけれど、金にならないこと、楽しそうに出来ないものなどは、わかっていても出来ないことがあります。

 

天然食材と添加物食材のどちらを食べるのが正しいかと問えば、みんな答えられます。

高くて美味しいものと、安くて美味しものとを比較するなら、どちらが心地よいかと問えば、みんな答えられます。

鮮度が落ちやすく傷みやすい食材と、傷みにくく長持ちする加工食材があるなら、同じ金額のものだとすると、どちらに手を伸ばす人が多いかを想像すると、みんな答えられます。

 

結果、添加物が含まれている安くて美味しくて長持ちする加工食材が売れますし、経営努力であり、顧客のニーズに応えただけだとも言えます。

それにより、対価が発生し、給金が支払われ、働く人も喜び、買い手も喜ぶWin-Winの関係が出来上がります。

 

しかし、一生知らなければ、嘘も真になるくらいに、問題と扱わない大問題が隠れていたりします。添加物も、様々な加工食品の裏に潜む問題も、バレなければ問題になりません。

 

知らぬが仏でいられます。

 

今は自己責任の時代です。

無理強いしていません。

添加物の加工食品も嫌ならば買わなければいいですし、食べなければいいのです。メーカーも企業努力にて提供している訳ですし、日本の規格に準じているので、法制度に則っていると言われれば、買い手の問題だけになります。

 

 

消費する側が、賢くなり、食品にしても様々な製品に対しても、買う前に吟味しておく責任が持たされています。

「表示義務」とありながら、ずさんな規格や、誤魔化しし放題なら、売るために誤魔化しますし、隠すものです。

 

隠すというと、人聞きが悪くなるので、「必要でない」とか、「最低限の義務は果たしている」という表現に改めれば、誠実っぽく見せることは容易です。

とかく、人の心は心地よいもの好きですから、厳しいことは望みません。

「智に働けば角が立つ」

と夏目漱石の一節にあるように、賢さをひけらかすと、角が立ち、その鋭さから痛がる人が出て来るので、あまり「添加物は病気の元」などと声高に言うと、眉をひそめる人が出て来てしまいます。

 

美味しいと感じて食べていたら、それが体によくないと知るのは嬉しいものではありません。悲しくなって、何を食べたらいいかわからなくなるものです。

 

「情に棹(さお)させば流される」

子どもが欲しがるから、甘い物を提供したら、怒りっぽくなった。などという因果関係は、知識を備えている人ならわかるものですが、知らない人には、「最近、怒りやすいのだよね」と、喧嘩や衝突する事案に対して、頭を捻ることくらいしか出来なくなります。
すると、怒られたくないし、怒らせたくないですから、情に棹(さお)という知識のケジメを指しても、ことを荒立てたくないので、結果相手の言いなりになるような関わり方しか持てなくなるものです。

 

「意地を通せば窮屈だ」

添加物など「体によくないものは食べない!」と断固として意地を通したり、意地を張ることなどすると、付き合いや、融通が効かないが故に、歩調が合わなくなり、嫌な感じばかり与えてしまうことがあります。

「とかく人の世は住みにくい」

どんな生き方をしようとしても、何かにつけて問題は起きてきます。
「好きなものを食べていたら病気になった。」などという結末と食との因果関係を知っていても改められないなら、知識など意味はありません。
「わかっちゃいるけどやめられない」などと、人間味溢れる言葉に、人の心は同意したくなるし、「うんうん」「あるある」とにやけて笑っていたいものです。損をしている自分の肉体も限界を越えて辛痛なダメージを負ってからでなければ、改めたいとは思わないものです。

 

結局のところ、智を働かせて角を立てるなと嘆かれても、適度に情に流されるようにして怒ることや怒らせることを許していくなどし、意地を張らず、意見をコロコロ変えてでも、住みよいことを心がけてみた方がいいのかも知れません。

 

今の時代、楽しいこと、好きなこと、気持ちいいことに特化しているところがあるので、その結果、自分が病気になろうが、大切な人を精神疾患に送り込もうが、因果関係がわからなければ幸せでいられます。

 

ほら、「生老病死」といって、病にかかる苦しみからは逃れられないと、言われているので、病気は仕方がないと諦めておくのが一番楽に生きられる術なのです。そんな風に開き直られてしまうと、話しかける言葉もなくなります。

 

法制度も、「罰則や極刑を度外視する(生きていたくないから、殺して欲しい。殺して欲しいと考えている人に、どんな法律も意味を為さないことを示しています)」としている人には、役に立ちません。凶悪犯が我が身を省みない発想があるなら、犯罪など防げません。自己犠牲感覚で誰かに尽くすことは、悪いことより良いことのように見えてしまう錯覚現象があります(自分だけが犠牲になって、誰かが救われるならいいことをしている気になる勘違いがある。アメリカの銃社会問題で、銃乱射をして射殺される犯人が自己犠牲を徹して、「銃社会は問題だ」と我が身を捧げて訴えることが素晴らしいものだと錯覚している事例のこと)。

 

バレなければないと同じこと。

知らなければ不愉快にならないから、知らせない方が道徳的であると信じている問題があるのです。

兎に角不安や恐怖を抱かせたくないと思いやることが、自分は良い人であり、良きことをしていると錯覚していることがあります。

 

私は、心理カウンセリングをしていますが、リーディングという能力は、オーラや潜在意識を紐解くことが出来ます。これは特別な能力と考えるよりも、深い観察眼を有しているくらいに考えていただけると良いものです。

人相学など、人の性格は顔に出て、どんな人柄かわかるように、目つきなど顔つきに表れるものです。オーラなど隠しようがありません。本人の生い立ちや、人間関係の繋がり、こだわりや考えの偏りなどは、雰囲気に出ているので人に伝わるものです。

隠すという発想が間違っているのではないかと思いますが、隠すことはスリリングで魅力的です。正しいことより、楽しいことに人の心は流されるものですから、スリリングに魅力を感じるなら、法を守るより、法を破ることが見つからなければ問題ないと考え、秘密裏に動くことを考えてしまうものです。

それが人の心です。

 

本人の中には正義感があるのです。
他人には理解されないようなものでも、自分だけは「まとも」だと思い込んでいたりして、「個人の自由意思」と誇るのです。

 

安くて長持ちで、加工食品という創意工夫をして作り出したもので、他人を喜ばせているなら、添加物を使おうが、防腐剤や、漂白剤や、発がん物資を使おうが、バレなければ問題ないし、法的に許されているから問題ないし、今のニーズに応えて何が悪いと開き直れるなら、「個人の自由意思」は素晴らしいものと認識するものです。

 

高いより安いがいいし、痛みやすいより保存よく長持ちする方がいいし、自分で調理するより、調理されているものをチンして食べるだけの方がいいし、どこでも手に入るなら尚いいし、みんなが食べているなら安心だし、問題食品なら国やそれなりの機関が取り締まってくれるだろうから信頼して任せておけばいいし、美味しく見栄えがいいものなら何だっていいと自分なりの哲学を持っているなら「個人の自由意思」を非難することなど出来なくなります。

 

お金がない、時間が無い、覚えたくない、面倒くさい、と人の不快感から生み出された加工食品などは、「個人の自由意思」に支えられています。
「高いから」「時間かけられない」「難しい」「必要ない」と自己改革や、賢くなる道は、様々な言い訳によって閉ざされます。
そして何も変わらない現実だけが残ります。

 

「智を働かせると角が立つ」というように、賢そうなことを教えようとするには、「何かを否定し、これこそ肯定されるべきものだ」といった論調になり易いものですが、これは他者批判となるので、やると叩かれます。

そうでなくても「私の意見はこう思います」という自己主張であっても、「それ以外の人の意見を否定した」と認識されるので、やはり叩かれます。

表現の自由や、言論の自由が認められていても、人を侮辱することや、気持ちを踏みにじることは許されていません。

よって、見せかけだけ正しいことをして、裏で証明し辛いことや、仕方ないことや、悪気がないことなどは、害悪にしかならないものであっても、因果関係が専門家でもなければわからない問題は放置されてしまいます。

 

賢く管理する側の立場が、愚かでずさんな管理をしてしまうと、大変なことになります。

これから○○なようになるかも知れない。××な時代になるでしょう。などと書くことも、表現の自由だとしていても、「不安を煽った」と非難されてしまことがあるのです。何故なら「不快な気持ちにさせられた」訴えれば、訴えた方が強くなります。

 

自分の人生の流れを眺め見て、自分が見落としている穴を見つけてください。楽しさや心地よさばかり追い求めていると、見失うものがあります。

 

正しいことよりも、嬉しさが広まるものか?

楽しいことよりも、美しく高まるものか?

気持ちいいことよりも、尊び迎え入れられるものか?

傷つかないようにすることよりも、耐えながら工夫し改めていけるものか?

 

落とし穴から抜け出してきてください。

 

 

もう一人の自分の声に耳を傾けて見てください。

 

自由意思も恐いにぁ〜。

 

では、また〜。